何が悪かったのだろか、などと考えても無駄。こういうものなんだ。

私は傷つくためにここにいる。

幸せになろうなんて考えてはいけない。

人生は、幸せになるためにあるわけじゃない。それを感じるこころも失ってしまった今、全てを疑って、最初から諦めてしまって、どんどん無力化していってる。信頼できる人もいなくなり、孤独感は通り越した。

通り越したと思いたいだけかもしれない。

何も感じたくない。心動かしたくない。

平気なふりして笑顔で生きてますけど、本当はつらいです。涙も出なくなった。
全部自分が悪いし、情けないし、クズ過ぎて、たぶん消えても誰も気づかないような気がします。
生きることに、意味や価値など、特に無いとは思っているけれど、あまりに酷すぎて、私の存在意義だけでも欲しくなる。無い。けど。
存在してていい理由が見つからない。
かといって、存在を否定するには、「生きすぎて」いる。この肉体、思考、感情それらすべて。
生きていてしまってる。
「助けて!」って叫ぶことが出来なくて苦しむ夜も、1人じっとして、スマホの画面を見つめて、誰かが書いているくだらない短文を読み続けている。
寄りかかりたい、寄りかかれない。
私はいつもひとりです。

こんらん

久しぶりに、マズイ感じ。

まずい感覚。

状況

整理しないと

整頓しないと

ふざけて誤魔化さないで

ちゃんとして。ちゃんと。ちゃんとして。

お願い。あたま、ちゃんとして。

今はまずいよ。

たくさんの責任や約束があるよ。

父の誕生日に電話した時の、すごく喜んだ声。

わたしが居ることが、何よりも幸せだって80代になって、言ってる。

もうそれ以上言わないで!

罵ってほしい。お前なんて生まれて来なければよかったのに!と、言ってくれたらどんなに楽だろうかと思った。

何でそんなに嬉しそうにするの!

やめて。

そんな喜ぶのは、先の短い命の親だけだ。

そのあとは、ひとりになる。

怖いわけではない。

誰からも愛されない人間になることが怖いわけではない。気楽になるんだ。

 

人は見た目だし、年齢だし、

人間的魅力については、もう分からなくなった。

その点でわたしには価値がなくて、人から見離され続ける存在になってしまった。

うんと、傷つけばいいと思ってる。

蔑まれて、消えても誰も気にしなければ、苦しむ人はいなくなる。

悲しませることだけが気がかりだから。

 

わたしは、元気なふりをするだけで精一杯で、楽しそうにして、誰かを持ち上げ、喜ばせることで、存在していていいのだと、言い聞かせている。

でも、それって、自分の人生なの????

わたしの、ほんとうのわたしの、人生なの?

 

本当にわからなくなった。

わからない。

こんな混乱。

解決するわけもないし、聞いた人は困るだろう。

さようなら。おやすみ。長く眠れますように。

大切にされること。

うーん…

大切にされてる実感が無いと生きていけないのかな。1人で生きることに慣れてないだけなのかな。それとも大切にされていないという妄想なのでしょうか。

でも、自分が認識できるものしか分からないから、やっぱり1人なんだと思う。

慣れたらきっと楽になれる。もう少しだけ。

いらないものを削ぎ落としていく。

もっとシンプルに。コンパクトに。

 

ヘルプを出せる人とわたし

何故か、死のうとする人から連絡が来る。

ネットで急に「ドアノブの強度って分かりますか?」とか言われる。ちょっと待て。電話しよう!と言って何時間も話を聞く、話す。

説得してるわけではない。くだらない話もする。恋の話も聞き出す。で、朝方、とりあえず今日は寝ようかって言って眠る。

ネットでは沢山の人と、生き死にの話をした。実際実行してしまった人もいる。でも集中治療室で目が覚めて、その時の記憶が残っていないとか、のちに聞く。

死んだと思ってた人が生きていた。

だからまだ私と話して本当に死んだ人はいない。連絡が取れる=生きてる。

 

自分が何度も反芻して考え続けていて、苦しみから解放されたい…と思っていても、人がやろうとしていると、「なんで?」と聞いてしまう。

だんだん、その人たちが、やっぱり生きてみようと思うことによって、私は何かを得ているのではないか?と考えるようになった。

励ましたりするわけじゃなく、ただただ話を聞いて、わかるーつらいよねー、人生って特に意味があるわけじゃないものね、なんて共感してて、止めるとか説教するとかもない。だけど、その人たちは今も生きてる。

そのことによって、よくわからないけど生命エネルギーを膨らませていく自分がいるような気がしてくる。

私だって毎日苦しい。それをごまかしながら、紛らわせながら、わざとふざけて生きている。だけど、人から死をチラつかせられたら、咄嗟に「ちょっと待って。話さない?」と言ってしまう。生=善で、死=悪ではないし、生きてるということは、いつか死ぬということだ。それが早いか遅いか、自分で選択するのか自然に委ねるのか、ただそれだけの違いが、遺された人にとっては大きな問題となる。

本人(死者)の生きる苦しみよりも、遺された人(生きてる人)の苦しみが優先して考えられる。

死者はもう苦しまないから。

 私は、そんな危機(衝動)が訪れた時に、誰かにヘルプを出すことが出来るだろうか?

友達に電話できるだろうか?

知らない人のDMに、書けるのだろうか?

思いつかない。

それは、私の個人的な問題過ぎて、一から説明するエネルギーがないからだと思った。

まだ、話せるうちは大丈夫なのだ。 

このことを書いている時はいつもすでに寝る薬を飲んだ後なので、わけのわからないことを書いていたらごめんなさい。下書きに追加して投稿してみます。

 

 

何もしない

何も出来ないと思い込んでる

じっとして苦しむなら、動けばいいのに

世界は進んでる

取り残され感

勝手に残ってるのはわたしなのに。