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穏やかさと激しさの共存

日記

富士日記〈上〉 (中公文庫)

富士日記〈上〉 (中公文庫)

富士日記〈中〉 (中公文庫)

富士日記〈中〉 (中公文庫)

富士日記〈下〉 (中公文庫)

富士日記〈下〉 (中公文庫)

 この本は、作家武田泰淳の妻である武田百合子の日記である。富士山麓で暮らす家族との日々の記録、本当にそれだけ。なのに、どうしてこれほどに人を魅了するのだろう。それはこの本を読むうちにわかることだけれども、百合子という女性の魅力につきる。
 日記の内容は、質素だがおいしそうな献立、知人との話、季節の移り変わりを感じたり、犬のポコをかわいがる姿、どの場面も映像が浮かぶような描写だ。妻として夫を支える献身さを持つ一方で、激しい感情を爆発させる場面何度か出て来る。
 武田家では、百合子が車を運転をするのだが、泰淳を乗せて運転している途中に、自衛隊のトラックに正面衝突しそうになる。百合子は腹が立って窓から顔を出し「何やってんだい。バカヤロ」と言う。すると夫はちらりと百合子を見、「人をバカと言うな。バカという奴がバカだ」と怒る。百合子は更に腹が立ち「あたしはバカだよ。バカだっていいんだ。バカだっていいから、バカな奴をバカと言いたいんだ。もっと言いたい。もっと言いたい。とまらないや」と口答え。すると泰淳、さらに怒って「男に向かってバカとは何だ」と震えて怒る。
百合子はこう続ける。

正面衝突されそうになった自衛隊に向かってバカと言ったのに、私の車の、隣に座っている人が自衛隊の味方をして怒り出すなんて。車の中にもう一人敵が乗っているなんて。
「そんな眼をするな。とに角、男に向かってバカとは何だ」と重ねて言う。問答無用といった風に怒っている。私は阿呆くさいのと、口惜しいのとで、どんどんスピードが上がってしまい、山中湖畔をとばし、忍野村入口の赤松林をとばし、吉田の町へ入ってもスピードを出し放しで走る。
いいよ。言わないよ。これからは自分一人で乗ってるときにいうことにしました。何だい。自分ばかりいい子ちゃんになって。えらい子ちゃんになって。電信柱にぶちあたったって、店の中にとびこんだって、車に衝突したって、かまうか。事故を起こして警察につかまってやらあ。この人と死んでやるんだ。諸行無常なんだからな。万物流転なんだからな。平気だろ。何だってかんだって平気だろ。人間は平等なんだって?ウソツキ。

 このあと右は走るわ、急ブレーキはかけるわ、信号が赤でも通りぬけるわ、で、ちらりと見ると泰淳はしっかりと座席のふちに掴まっている。知人のガソリンスタンドへ行き、今あったことの顛末を話して聞かせて、どっちが悪いと思う?と言いつける。
 わたしは、こういった百合子の激しさに強く惹かれる。のんびりとした風景の中にちりばめられた、妻でも母でもないような表情が、この作品をさらに愛すべきものにしていると感じる。
 それは、自然の中での暮らしの、穏やかさ、激しさなのだ。それが百合子の感情とシンクロしてこの作品の中に織り込まれているのだと思う。百合子の感情が、「自然」それそのものなのだ、とも言えるだろう。