『暮らしの哲学』/池田晶子

暮らしの哲学

暮らしの哲学

 図書館から借りてきた本。
 痛快だ。何かわたしに積もっていたくだらない概念がばっさりと、切り取られて落ちていくようだ。一体どれだけの、この世の基準!そんなのに振り回されているんだろう。みんながそうだから、わたしもそうでなくてはいけない、なんて、そんなの誰が決めたのよ。わたしはわたしでいい。池田晶子の本を読むと、置かれている状況はどうであれ元気が出る。
 ペットブームの陰で、飽きたら殺処分するという飼い主がたくさんいるという実体。これに触れて池田晶子は、どうしてもそうするなら、自分の手で殺せと言いたくなる。殺処分に値するのは逆なんじゃないの?と言う。同感だ。
 また親子の話では、子どもを自分の所有物と思っている親に対しても一喝。

そんな馬鹿なことはないでしょう。子供が自分の製作だなんて、精子卵子の結合によりひとつの生命が誕生するという摩訶不思議なプロセスは、自然が用意したものであって、まさか人間の技ではない。ましてや、ある精子とある卵子の結合としてのある生命がその人であるなんて、これこそ奇跡、どうしてそれが人間の親がそうしようとしてそうしたことなんてありますか!
 そういう不思議に思いを致さず、自分がセックスしたから子供は自分の製作であり、自分の腹から出たから子供は自分の所有である。ほとんどの親はそう思っています。これが子供には癪にさわるんですね。とくに、自分はたまたまここに生まれただけで、自分そのものは誰でもない、そういう存在の不思議に気づいている子供はなおさら、親に親のような顔をされたくないんですよ。

 ああ、まさしくだ、と思う。幸いわたしの両親はわたしを「神様からの預かりもの」として捉えてくれた。育てて大きくするのはボランティアみたいなものだと。だからわたしは小さい頃から「自分の人生」を歩んで来れた気がする。ただ、現実にはこういう考えの親というのは珍しく、ほとんどはどこかで自分の思い通りにしようと思ってしまうのだろう、親というものは。
 それからまた別の話題では、昨今のアンチエイジブームについて触れている。最近「年齢に対抗する」サプリメントや化粧品などが巷に溢れている。確かに若ければ楽しいことは沢山ある。しかし、確実に失われるとわかっているものにしがみつくというのは不幸な生き方なんじゃないか、と。どうあがいても、老いて死んでいくのは人間の宿命であって、それに抵抗するとは気が休まらない。

彼女たちは、幸福の基準を他に知らずに生きてしまったのだ。若さつまり容貌がすべての人生だから、これを失うことは全人生を失うことに等しいんですね。これはまったく大変な人生だろうと思います。でもねぇ、人生の本当の面白さって、そんなところにはないのですよ。

 たいていの女性は、やたらと外見にこだわる。もちろんそうでなく自然体の人もいることはいるけれど、やはり少数だ。
 わたしが先日本屋でビックリしたのは、「妊娠してもキレイでいたい」という妊婦ビューティー雑誌が出ていたことだった。わたしは、妊婦は、妊娠しているそのことによって美しいと思っていた。しかし、その雑誌、妊娠「しても」である。まるで、妊娠したら(腹が出たら)キレイじゃなくなるみたいだ。その内容も、想像通りで妊婦のお洒落ファッション、メイク、マタニティーランジェリーなどもあるようだ。産んだあとも着まわしがきく!とか、もう、服のことが第一ですか? 何をそんなにお洒落する必要があるのですか?そんなメイクで外出歩いて、夫以外の男をさらに漁っているのですか?と言いたくなる。別に妊婦だからお洒落してはいけないわけではない、したい人はすればいい。だけれども、自分の「キレイ」よりも、もっと大切なことがあるんではないの?と思う。こういう雑誌を見ながら子どもを産む母親がやはり子供を所有物と思いそうな気がする。子供はファッションの小物ではないのだよ、と。
 思わず池田晶子になったつもりで突っ込んでみたくなる。