無常は光

徒然草 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

徒然草 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

 角川のビギナーズ・クラシックスで『徒然草』を読んだ。
 兼好の鋭い観察眼、そしてその視点の先にある世界は今と何ら変わりない。地位や名誉、金にこだわって生きる人、そんなもんあの世まで持っていけるものでもないのに、そういったものに執着する人間は今、この現代にもわんさか居る。人の噂話や悪口のような実のない話ばかりしている人もいる。いる!いる!酒を飲み、自慢話、泣き上戸、醜態をさらし、次の日には二日酔い・・・。兼好もそんな人々を見て、こうはなりたくない、と思ったのだった。
 また、そんなに意見が合うわけでもない人と話を合わせるのは苦痛だけれど、気の合う友達とあれこれ語り合うのは楽しくて時を忘れる。けれどそんな人滅多にいないんだよなーとか、女は見てくればかりを重視し、欲望も激しく、口が達者で聞いてもいないことをああでもない、こうでもないとしゃべりまくるんだよなーとか、もう、こんなに時を経ても何も変わってはいないじゃないか、わたしたちは。
 『徒然草』の中には、生きていること、そしてその生は有限であり、皆死へ向かっていて、いつ死が訪れるかわからないのだ、ということを強く意識した文章が多く見られる。生まれ、そして死ぬ。そしてどこへ行くのか?・・・わからないことだらけ。人の力の及ばないことだらけの人生。それがいわゆる「無常」だ。この本は「無常」に溢れている。それを受け入れて生きる心地よさ!兼好の気持ちがわかりすぎるよ。

 露や煙ははかなく消える命なのに、この世に死者はなくならないので、あだし野霊園の草露や鳥部山火葬場の煙はいつまでも消えることはない。だが、その草露や煙のように人間がこの世に永住して、死ぬことがないならば、人生の深い感動は生まれてくるはずもない。
やはり、人の命ははかないほうが断然いい。

【原文】
 あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからむ。世は、定めなきこそいみじけれ。


 人生は、永遠ではないのだから、くだらんことにこだわったり執着したりして過ごすのではなく、この時間を大事に使おうと、そう兼好もまたソクラテス同様「善く生きること」を説いているのだと思う。
 「無常」ってのは一見、哀しいことのように思える。だってわたしらがいくら何をどう頑張ったところで、老いていき、そして死ぬのだから。だけど、だからこそ、今が美しいのだ、この一瞬のような人生を、光のように生きて、その日が来たらきれいに消えよう。何か、そう考えて行くとこの「無常」が爽快に思えてくる。
 ちなみに吉田兼好(よしだけんこう)は、兼好の死後改姓され呼ばれるようになったもので、ほんとうは卜部兼好(うらべかねよし)である。出家後の芳名が兼好(かねよし)と書いて兼好(けんこう)と読む。