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『哲学の教科書』とは?

哲学の教科書 (講談社学術文庫)

哲学の教科書 (講談社学術文庫)

 とうとう読み終わった。数ヶ月ちびちびと、強い酒を少しずつ口にするように、細切れに読んで来た『哲学の教科書』。この本のタイトルは逆説的であり、ある種のギャグでもあり、読者を特定するためでもある。そう!あなたに読んでほしい!というメッセージ。
 中島義道は、まえがきにこう記している。

 あなたは『哲学の教科書』というタイトルを変に思った。そのウサンクササに「何かある」と思い、ふと手にした。そういう「お見通し」の読者にはこれ以上語る必要はありますまい。そう、まさにあなたがお考えのように、本書は哲学には「教科書」などあるはずがないということを、これでもかこれでもかと語り続けた『哲学の教科書』なのです。
 とはいえ、本書を手にしている別のタイプの読者もいましょう。それは、一冊で哲学のすべてがわかる入門書を求めて書棚を物色し「あった!」とばかりにサッと引き抜いた「素直な」人々です。もしあなたが後者のタイプだったら、「騙しやがって!」とここでパタンと閉じないでください。じつは−屁理屈でもなんでもなく−私は心底そのような人々にこそ、本書でメッセージを送りたいのです。と申しますのは、私の印象では巷に哲学入門書はあふれておりますが、それを読んで哲学に眼を開かれる人はきわめて少ないからです。私は中学生のころ跳び箱なんて恐ろしく、まして「正しく」跳べないのに「跳び箱の跳び方」というペーパーテストは「教科書」を丸暗記していつもできていました。すごくおかしいと思いませんか?こと哲学に関しては「教科書」はこうした「跳び箱の跳び方」のようなものでは困る。跳び箱の跳び方が頭でわかるのではなく、本当に跳び箱が跳べるようにならなければならないのです。

 この本は、何年に誰それという哲学者が生まれ、のちにこんな言葉を残し、その思想は誰それに受け継がれ、とかいうような「哲学史」の本とは違う。様々な哲学者の言葉や著作にも触れるけれど、ここに脈々と流れているのは、知を愛する精神そのもの。自らの頭で考えること、興味にかられてワクワクしながら読書すること、「わかった」時の喜び、みたいなものだ。いろんな例が出て来る、中島義道が思うことが書かれている、と同時にその問いが読者に投げかけられている。私は何度も唸った。そうか、そういう見方もあるな。けれど、私は・・・といった具合に。それが哲学そのものなんだ!
 この本は、「哲学する」ための取っ掛かりとして、とても優れた本だと思う。もちろん、哲学書を読まずして哲学を語ることはできないけれども、何か、本当の意味で「哲学する」とはどういうことか気づかされる本だった。難解なことを、平易な日本語で(私にもわかるように)、説明してくれる!『究極の「哲学・非−入門書」。』!