『大丈夫であるように−cocco終らない旅−』

大丈夫であるように。―Cocco終らない旅

大丈夫であるように。―Cocco終らない旅

 coccoのドキュメンタリー映画『大丈夫であるように』を観に行ってきた。
 coccoは、ファンから届いた1通の手紙によって青森県六ケ所村の核再処理工場のことを知る。沖縄で生まれ育った自分は、沖縄だけがいろんなことを諦め、つらい思いをしているのだという気がしていたけれど、こんな北の地で痛みを抱える人たちがいるということに気づく。青森で行われたライブのステージの上で、「知らなくてごめんね、まだ何も言えなくてごめんね」って謝るcocco
 観ているあいだずっと涙が溢れて止まらなかった。coccoの剥き出しの感性が痛々しくて、切なくて、それに触れて私の中で蓋をしてしまっている感情や考えないようにしていることが噴き出るようだった。私たちは立ちはだかる大きな壁に、無力を感じてしまう。やったって無駄だ。通じるはずがない。世界なんて変わらないって。諦めてしまってる。だって、考え出したらこの世の中は切ないことだらけだ。どうやったって悪い方向に向かっていっているような気がしてならない。何なんだ。人間っていうのは。他の命を奪って食糧にし、いや食の目的だけじゃない。冬にみんながそのへんで気軽に着ている、ファーだとか毛皮だとか、そんなののために動物たちは殺されて皮を剥がれる。ペットも飽きたら殺処分。そして呑気に渋谷なんて街を派手な化粧で闊歩する。原発や再処理工場の出す放射能についても知ることもなく、原爆も忘れ、どこかの国で戦争が起こっていてもまるでゲームのようにそれを見つめ、誰かがヘマをすればいっせいにみんなで叩く。いったいわたしらは、何でこの世にいるんでしょう。究極のエコを追求すれば、人類が消滅することに突き当たるんだろうと思うよ。ぶっ壊してるのはみんなわたしたちだ。残酷なのはみんな私たちだ。気づいていない、みんな。なんにもわかってない。想像力が及ばない。それでもcoccoは言う「生きろ、生きろ、生きろ・・・生きろー」って。言う。何も変えられない自分にズタズタになりながら、それでも無感覚になれなくて、痛みと共に生きていく。
 cocco、私は、苦しすぎて目をそらしてしまっていたよ。わかっていて、気づいていて、けれども、精神の崩壊が怖くて踏み込めずにいた。いろんなことに。戦って敗北するのが怖くて。少しずつっていうのがうまくできなくて、加減がさっぱりわからない。きっとcoccoもそうなんだろうな。力を!力を!全てひっくり返してやる!って叫んで、そして何もできない手を見つめてさめざめと泣いたりするんだろうなって思う。こうして生きていることが哀しくて悔しくて、ああ、いっそ世界なんて終わってしまえ、って考えたりもするんだろう。なんか、この映画を観て、ただ、coccoがいる、生きているってことが嬉しかった。