緩やかな変化

 この間、久々に実家に帰って、ほとんどは家に居たけど、1日だけ友達に会った。何から書いたらいいんだろうか。本当、自分の中で何かが変わった気がした。正直、実家に帰っても友達に会わずにまた東京(札幌に住んでた時は札幌)に戻ってくるってことが多かった。何なんだろう、どこかで避けていたんだろうなぁと思う。会って「昔とは違う」とか、違和感を感じるのが嫌だったような、単純に億劫だったような。「昔とは違う」っていうのも、その友達が急激に変化したとかでなく、自分の視点が変わってしまった、というショックのような気づきのような、これまた曖昧な表現になってしまうけれど、ちょっとした哀しさ、みたいなもんだった。
 私が経験してきたこと、感じて来たこと、そのステージとは違うところにあの子たちが居て、もうそこには“無邪気な共感”がない、という寂しさ、いやもっと言ってしまえば、どこかバカにされているか憐みを持たれているかというような空気を私が勝手に感じて引っこんでしまったんだと思う。それでも、友達でいなければならないような(つまらない)強迫観念みたいなものもあって、逃げてる自分が悪いような気もしていた。それがここ数年で、いろんな変化があって、地元に住む友達も結婚やら何やらで出ていく人、戻ってくる人、いろいろ入れ替わって、相関図みたいなのがすっかり変わった。いい機会になったのだと思う。本当に会いたかった友達に連絡をとり、集まろうと声をかけた。声をかけた人はみんな来てくれた。
 私はそこで、自分の気持ちに正直に人と付き合っていこうと思った。何か久しぶり。ずっと無理をしていたと気づいたのだった。Aと仲良くするのならBCとは仲良くできない、とかBCと仲良くするならAに会ったことを言えないとか、そういうのに疲れて、けれど強迫観念でBCとの付き合いが止められなかった。もう、すべてを切り捨てるしかないとすら思っていたけれど、私はずっとAのことを思っていた。そのAに会えた。Aは何も変わっていなかった。それこそ、もう高校生のAそのままだった。私は嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
 私は、人は本当に大切なものは決して失わない、という言葉を思い出した。Aはどう思ったのだろうか。
 東京に戻ってから、それまでのことをいろいろ思い返した。私が今よりもずっと未熟だった頃のこと、今の自分の本当の気持ちについて。そうすると何年もずっともやもやと停滞していたものが緩やかに動き始めているのを感じた。
 私は、自信がなかったのだと思う。私である、そのこと自体に。重ねて来た人生そのものに。だから隠れようとしていたのかもしれない。本物以外とわかっていても、そこにしがみついてしまったのかもしれない。
 ここから何かが変わる気がしてる。失われた時間は戻らないとしても、私は私で、それ以上に小さくも大きくもならずに、私でいられたらと思う。それが可能だと、本当に本当に久しぶりに思った。何も恐れていなかったあの頃とはまた違った位置で同じことを思っている。

*関係ないけど、さっき本読みながら、案の定寝ちゃってて、その中で、夫が私と付き合ってから今までずーっと浮気をしていたということに気づき、その女も同じ部屋に居て、超修羅場化しているという夢を見て、ビックリして飛び起きた。疲れた。