『生かされて。』

生かされて。

生かされて。

 『生かされて。』を読み終わる。この本を読んでいる間、私はツチ族になり、鉈を持ったフツ族に追われている夢を何度か見た。
 訳者もあとがきで書いているけれど、この本は不条理な虐殺についての本なのではなく、人の可能性や希望についての本である、と感じた。
 驚くべきは、イマキュレーの信仰の深さだ。彼女は、神の導き(としか言えない様々な出来事)によって、立ちはだかる困難を乗り越えて生き残り、そして強く生きていく。両親や兄弟をなぶり殺しにした隣人たちを許していく心の動きは、私も自分の家族に当てはめて考えてみて、あまりに苦しく、想像を途中でやめてしまった。
 大量虐殺終結後、イマキュレーは、廃墟となったかつての我が家にたどり着き、家族の残酷な殺戮の物語を近所の人たちから聞いた時、殺人者たちへの憎しみが湧きあがって来る。しかし、彼女は祈るのだ。

 「私の悪魔の考えをお許しください。神様。どうか、あなたがこれまでにして下さったように、私からこの苦しみを取り除き、心を清めて下さい。あなたの愛と許しの力で私を満たして下さい。あの人たちもまたあなたの子どもたちです。どうぞ、彼らを許すことが出来るよう、私を助けて下さい。ああ、神様、私に彼らを愛させて下さい」
 突然、すがすがしい空気が私の肺に流れ込み、私はほっとしてため息をつきました。そして、私の頭は枕に沈み込み、また、心が静まってきました。
 ええ、もちろん、私は悲しかったのです。たとえようもなく悲しかったのです。でも、私はその悲しみに私自身をゆだね、それが清らかで、憎しみに染まっていないことに気づきました。死ぬほど家族が恋しかったのですが、怒りは消えていました。
 私の家族を傷つけた人々は、もっと自分たちで自身を傷つけているのです。

 その後、彼女は自分の家族を殺した中心人物に会いに刑務所に赴く。そしてその相手に言う「私はあなたを許します」と。
 きっと、乗り越えていくというのはそういうことなんだろう。恨みから解放される時に、加害者から解放される、ということなんだと思う。それは、相当に困難な作業で、一生かかってもできないことなのかもしれない。けれど、彼女は信仰の力、神の助けによってそれを実現させたんだ。
 外国、お金持ちの国の人たち、みんな気づいて!どうか助けに来て!と、イマキュレーが心の中で叫んでいた94年当時、私は日本で何も知らずに呑気に暮らしていた。それが苦しくて悲しくて泣けてきた。無力だ、とかいう以前の問題で。