「メノン」にメロメロ

メノン (岩波文庫)

メノン (岩波文庫)

 「徳は教えられうるか」というメノンの問いは、ソクラテスによって、その前に把握されるべき「徳とはそもそも何であるか」という問いに置き換えられ、「徳」の定義への試みがはじまる。

 ソクラテス節にまたすっかりやられてしまった。知識のないはずのメノンの召使がソクラテスの質問に答えているうちに幾何学の正しい答えを見つけ出すという場面に鳥肌が立つ。数学、数とつくものは何でも思考の範疇外と思ってしまう、この私にも理解ができたからだ。ああ、ソクラテスみたいな家庭教師がいたら、私の人生も大きく変わっていただろうに。本当は、数学だって哲学なんだよなー。思考の方法が数や図形を使うってだけの話で、要するに道具が違うだけなんだよね。
 メノンは、二十歳前後の好青年みたいに描かれているけれど、クセノポン著『アナバシス』には貪欲、不実、不正、悪辣な野心家・・・と酷い言われよう。だけど私はこのプラトンが描いたメノンの姿も信じたいと思う。知を追求し、ソクラテスの言葉に混乱しながらも謙虚になってるメノンをさ。どっちがどっちってこともないんだろう。たぶん、クセノポンの言ってるメノンも事実なんだと思うけれどね。人っていろんな側面がある。貪欲になる時期だってあるだろうし、不正をはたらくこともある。でも、だからといってその人が完全に貪欲で不正な人間かと言ったらそんなことはない。一面でしかないんだと思う。私だって、あなただって。そんなのを全部含んだ存在だ。
 徳とは何かメノンに挙げさせ、「例」は沢山出てくるが徳の本質を言い当てられないことにメノンは気づく。対話からソクラテスは、徳は知であるというところにたどり着くが、またそれを翻す。

ソクラテス その場合、徳が知であるならば、教えられうるものであるはずだというのが、われわれの考えだったね?
メノン ええ。
ソクラテス また、教えられうるものだとしたら、それは知であるはずだ、とも考えたね?
メノン たしかに。
ソクラテス そして、もしそれを教える教師たちがいるとしたら、きっとそれは教えられうるものだろうし、もしいなければ、教えられうるものではないだろう、と。
メノン そうです。
ソクラテス しかるにわれわれは、徳を教える教師はいないということに、意見が一致したのだったね?
メノン そのとおりです。
ソクラテス したがってわれわれは、徳とは、教えられうるものでもなければ、知でもないということに同意したことになるわけだね?
メノン たしかに。
ソクラテス しかし、すくなくともそれが善きものであるということには、われわれは同意するだろうね?
メノン ええ。
ソクラテス そして、正しく導くものは有益なものであり、善きものである、と。
メノン たしかに。
ソクラテス しかるに、正しく導くといえば、それをなしうるのは、正しい思わくと知識の二つだけであって、人間はこれらをもつことによって正しく導くのだ。何かの偶然のおかげで正しく行われるというようなものは、これは人間の導きによるものではないからね。人間が正しい方向の導き手となるようなものの場合には、この二つ−正しい思わくと知識が導くのだ。
(中略)
ソクラテス ・・・・目下のわれわれの議論だが、もしこれまでの探求と議論の進め方がすべてまちがっていなかったとすれば、徳とは、生まれつきのものでもなければ、教えられることのできるものでもなく、むしろ、徳のそなわるような人々がいるとすれば、それは知性とは無関係に、神の恵みによってそなわるものだということになるだろう−


 えええええー!ここまで話しておいて、最後は神の恵みかよー、徳ってのは・・・と最後はズッコケてしまうんだけどさ。プラトンの、イデア界の入り口と思われる話が出てきたり、途中で話に参加したアニュトスが怒って帰ったり(アニュトスはのちにソクラテス裁判でソクラテスを訴える中心人物)、ソクラテスが美少年に弱い、ということもわかったし(笑)、何より、ソクラテスのロジックがおもしろかった。私は、専門的な読み方はできないけれど、十分楽しめた。