ベンジャミン・バトン

ベンジャミン・バトン 数奇な人生

ベンジャミン・バトン 数奇な人生

 2冊とも夫の本。読了して次の日には映画を観た。それで映画の話。

ベンジャミン・バトン  数奇な人生 (角川文庫)

ベンジャミン・バトン 数奇な人生 (角川文庫)

 もし、人生が、老人から始まり赤ん坊になって終わるとしたら、というちょっと考えられないような物語。その設定だけは一緒だが本と映画は全く別のものだった。原作からよくここまで奥深く要素をくみ取って描けるものだと感心するくらいいい映画で感動した。涙が乾いた瞬間に泣いていた。何で泣けるんだろうか。ベンジャミンの恋云々よりも何よりも、彼を育ててくれたママに心惹かれた。人生なんて、本当に人それぞれ。形は違えど行き着く先はみんな同じだ。いつか、消えて無くなる。無となる。大事なのはそこまでの辿りつき方だ。さあ、どう生きる?とこちらに投げかけてくるような気がした。
 あと、これ見ながら思ったが、最近のアンチエイジングとかいう風潮に対して、ある種の気づきを与えるのではないかということ。実際にアンチエイジしてしまったらとっても切ない人生だ。愛する人と一緒に年を取っていきましょう、どう年を取るかということが重要なんだという啓蒙的な。いや、たぶん、気づかないか、そういう人は。
 束の間の幸せなんだろうなぁってわかっていながら、じゃれ合って抱き合って一緒に暮らす、やっと年齢が交差したベンジャミンとデイジーの姿が切なかった。何かそれって、この設定(方や若返っていく人、方や年とる人っていう)だから際立って感じられるけれど、現実でもはっと思う瞬間ってあるよね。
 「ああ、これは永遠に続かないんだなぁ」って、幸せのさなかに。それは決して悲観的とかいう意味じゃなくて、何か、肌でわかってる感覚。そして、消えて無くなるものだからこそ美しいんだっていう儚さへの憧れみたいなもの。状況違えど、痛いくらいわかりすぎる感情が溢れてて、胸締め付けられっぱなしだった。
 やっぱり私は消えて無くなるものが好きだ。子どものころは消滅が怖かった。親の死(これはまだ経験していないけど)とかペットの死とか、地球が終わるかもしれない予言とかそういうのがとても恐ろしかった。未知なるものへの恐怖。ソクラテスに言わせれば、知らないものは怖がりようもないのだけど。私はそんなのがずっと恐ろしかった。けれど、何ていうか、想像でしかないけど、何もかもが永遠なら、幸せという概念がなくなるんじゃないかな。夢の中のように無感覚で、鈍感で、意欲も、感動もなくなってしまうだろう。死んでも死ねない世界なんてきっと地獄だ。
 宇宙とか、私たちの目には永遠に見えるようなものでも、そっちが存在しているうちにこっちが消えてしまう。それを感じる意識が消えちゃうんだから、認識できる永遠はない。誰にも永遠なんてわからないんだと思う。けれど、私の知らないところにこっそりと永遠は存在するのだと、想像するのもまた私だ。永遠が、ニヤっと笑いそうだ。

 そういえば、この映画を観ている間中、夫は「この人誰だったっけなぁ〜、トムクルーズじゃないし、エディーマーフィーは黒人だったよなぁ」と悩んでいたらしい。あ!ブラビか!って、それも何か違う。ビ、じゃなくピ!