罪と罰、の罪のほう

罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)

罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)

 1巻読了。最近、寝つきが悪いのはもしかするとベッドでこれを読んでいるせいかもしれない。ドストエフスキーは本当に人を殺したことがあるんじゃないか、なんて、現実の殺人者に言わせてしまうほどのリアルだ。もちろん私にはその、比べるリアルがないものだから、想像でしかないけれど、言わんとするところは理解できる。ふと「私が」金貸しの老婆を殺してしまったのではないか、と思うほど。迫ってくる、まばらな意識、緊張感、汗、血の海、あの空気!
 まだ、あれを実行する前のラスコーリニコフ、家族を想い、「社会のため」を思う彼、これから何が起こるか、私は知っているのに、「どうか、ここで引き返して!」「やめて!」と心の中で叫んでいた。『罪と罰』なんだから、「罪」を起こさなきゃはじまらない、というのに。・・・我ながらばかげている。
 ラスコーリニコフの殺人思想は、ある種、現代の日本でも頻繁に問題にあがっている、若者、特に17歳とかそういった世代の殺人の思想に繋がっていると感じた。恨みや、金品目的の単純明快な殺人ではない、独自のムードのようなもの。たとえば、平野啓一郎が『決壊』という小説によって示したのも同種のものだ。この、言葉にしてしまうと伝わらないもの、雰囲気でしか理解できないものを、淡々と描写を重ねることで身体に刷りこんでいくような感じ。私たち読者は、どんどん惹きこまれ、抜け出せなくなる。さて、つべこべ言わず、2巻を読みます。いわゆる興奮状態。これはすごいこった!
 それにしてもラズミーヒン(ラスコーリニコフの友達)、いい人すぎ!世話焼きすぎ!無邪気すぎ!そしてちょいとウザ気味。