映画『ひめゆり』

 「忘れたいこと」を話してくれてありがとう。/Cocco

 昨日、野方という街に初めて行った。西武新宿線野方駅。なんでそんなところに出向いたかというと、「ひめゆり」という映画を観るためだった。Coccoのドキュメンタリーを観て思った。Coccoが「六ケ所のこと何も知らなかった、沖縄が1番つらいと思ってた、ごめん、」というようなことを言ったように、私も沖縄のこと、沖縄戦のことを何も知らないんだ、と感じたから。で、いつだったか、あ、そうだ、荻窪の「6次元」というカフェに行った時にこの「ひめゆり」のチラシを見つけて1枚もらってきたのだ。すぐに、どこで上映しているかと調べたら、「六ケ所村ラプソディー」みたいに地域で自主上映をしているような映画だった。で、ここなら行ける!と見つけたのが野方だったというわけだ。
 この映画はメロドラマでもなんでもない。「真実」の語りだ。ひめゆりの生存者たちが、当時の戦場に出向いて、そこで一体何があったのかを語る。ただただ、体験を語る。溢れ出てくる言葉を記録した映画である。それはそれは恐ろしく、吐き気すらもよおして来るような悲惨な光景だった。
 本当に、私は何も知らなかった!と愕然とする。「戦争」というたった一言の言葉に、これほどの事実、そのディティールを感じることは難しい。特に私たちのような戦後ややしばらくしてから生まれたような人間には、いくら想像したってしきれないものがある。破れた顔、肉の間に入り込むぴちゃぴちゃという蛆の音、それが耳に入り込んだ時の兵士の叫び。ひめゆりの学生たちは次々と運び込まれる負傷者を手当てする。医療の何があるわけでもない。要するに、心を支える、ということだ。脳味噌が砕け散って、内臓を垂らしながら死んでいる同級生、その光景を見た時に、涙が出ないというのだ。
 彼女たちは言う。地獄のような光景にも少しずつ、慣れていってしまう。人間が変わってしまうんだ、それは恐ろしいことなんだ、と。私は、声をあげないように泣くのが精いっぱいだった・・・。
 誰かが死ぬことや自分が死ぬことより、人がその光景に慣れて、感じなくなっていくことが哀しい。順応が哀しいのだ。私たちは、「平和」にも慣れてしまうかわりに、「戦争」にも慣れてしまう。どうか、彼女たちが勇気を出して語ってくれたことが踏みつぶされませんように。そして、一体、私に何ができるというのだろう。こうして知ること以外に。