カラマーゾフ

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

 他のとこでも書いたが、今週土曜に亀山氏の「甦るドストエフスキー」を聴きに行くので慌てて『カラマーゾフの兄弟』を読んでいる。1巻読了。今、2巻にとりかかってる。
 『罪と罰』のサスペンス的要素にかなり緊張していたところに、このとぼけたカラマーゾフの父、そして修道院、なもんだから、なかなか入り込めず、気持ちを切り替えるのに時間がかかってしまった。2巻に入って、やっと波に乗って来た感じ。
カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)

 読書っていうのは「大縄跳び」みたいなもので、その輪に入ってしまえば大抵はジャンプし続けることができる。輪に入るタイミングは人それぞれだ。
 それにしても、登場人物たち同様に私もアリョーシャに夢中だ。「カラマーゾフ」なのに、何であんなに純粋で誠実なんだろう!!私はよく、人は、血筋、とかDNAとか、要するに親からの「遺伝」や、育った環境、といった要素だけで形成されているものではない、と感じる。例えば双子、全く同じ環境から生まれ、同じ環境で育てられた人間でも性格が違うように、何か、その人間の持って生まれたもの、それを「」という言葉で表すのかもしれないけれど、「それ」は、何からも誰からも影響を受けない、その人自身である、という気がするのだ。
 そう考えていくと、「あの環境で育ったから・・・」という、たとえば犯罪者などに対する「理解」は、一理あることはあるけれど、ないとも言える。環境は確かに人間に影響を与える。怒られてばかりだと人の顔色を見てびくびくした人間になる。なんでも許し、自由にさせれば、のびのびしているがわがままな人間になるかもしれない。が、さっきの「魂」「その人自身」は、それに何ら影響を受けない。とすると、やはり、それでも、あるものはあるし、ないものはない。
・・・ってことは?
 拮抗する、環境と魂との間で、どちらが勝つかはその人次第、その人の意思の強さ次第、気づくか気づかないか、の違いなのかもしれない。「気づく」ことだけが、そこから抜け出せる方法なのだと、私は思う。アリョーシャは、自身が「カラマーゾフ」である、ということを自覚して、だからこそ、節制した生活を送っているのだ。それが、彼をより魅力的にさせているのだと思う。それに引きかえ兄は・・・・。