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 昨日、友達と街を歩いている途中で、ソフトバンクのお父さん犬みたいな子犬を見た。毛なみもきれいで、首輪はつけていなかった。おばちゃんが、一生懸命引っ張っていて、最初、そのおばちゃんの飼い犬かと思ったら違った。「なんかうろちょろ歩いていたから」みたいなことを言って、すずらんテープっていうの?あの紐を首に縛って。善意の顔で「警察に連絡する」と言う。警察に引き渡すことの意味をおばちゃんは知っているのだろうか?もしかすると警察が、自分に代わって飼い主を探しだしてくれるとでも思っているのかもしれない。
 わたしたちは結局、その場を通り過ぎてしまった。何も出来なかった。わたしは過去に、保健所から犬や猫を連れて来て、飼い主を募集するという活動をしていた。それが、今は、何もなかったかのように、何も見てはいなかったかのように、そこを通り過ぎたのだった。
 今住んでいる私の家はペットを飼えないマンションだけど、少しの間保護をして「迷い犬」として写真を撮って、インターネットのそういったサイトに掲載することもできたかもしれない。たとえ飼い主が捨てたのだとしても、まだ子犬だし、里親募集もできたかもしれない。できることはあったのではないか。わたしは、なかなか寝付くことができず、眠ったと思えばあの犬の行く末を夢に見、夜中にガバっと起きたりもした。たぶん、病気だ。こういったことに関してはわたしは病的に神経質。わたしもいつか死ぬ、あの犬もいつか死ぬ、それが明日ではなく、1年先ならそれでOKなのか、20年先ならもっといいのか。

週刊朝日緊急増刊 朝日ジャーナル [雑誌]

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 『朝日ジャーナル』創刊50年号に平野啓一郎の論文が載っていた。アキバの通り魔事件は、負け組の代表である犯人が、勝ち組に一矢報いてやる、というストーリーだったと。それと同列に厚生労働省の元事務次官宅連続襲撃事件があるとしている。

この被告は逆にみんなとは違うという意識がすごく強い。自分こそ毎年何万頭と犬が殺処分されることに心が痛む繊細でまっとうな人間で、そんな自分を受け入れない社会が腐っているという恨みですね。実はタイプが違うのですが、今の自分の存在が、社会に承認されていないということが犯罪のモチベーションになっている点では共通している。

 わたしは、その点で、この犯人と変わらない。ただ、人を殺していないというだけで、構造は何も違わないのだと思う。わたしは、世の中の、無感覚なクズよりも、この現実にこころを痛めているという点において優れている、とどこかで思っているのか・・・。
 だけど、ふと考える。あの、純粋な気持ち、とにかく、ここにある小さな命を救いたい、と涙ながらに思ったあの気持ちに濁りはない、と。そしてその点でまた、優位に立とうとしているのだろうか。苦しい。
 そしてあえて、平野啓一郎とは違う視点で考えてみたいと思う。
 元事務次官と家族を殺傷したあの男も、苦しかったのだと想像する。幼く傷つきやすい子供時代に、愛犬チロを殺処分されたと知った時の痛みは、もしかすると、彼のこころの何処か一部分を破壊して、二度と再生できなくさせてしまったのかもしれない。彼は、世の中の、現実に麻痺した人間よりも自分のほうが優れているのだと主張するために犯行に及んだのではなく、再生できないくらいぐちゃぐちゃに傷ついたこころを取り返すために、そうすることしかできなかったのかもしれない、と思った。
 彼の(普通の)人生は、その、数十年前の子供時代に終わってしまったんじゃないかな。それゆえに、彼のこころには、年間に何十万頭も殺される犬のことを考える隙間はなく、ただただ「チロ」という愛犬にだけ思いが凝縮されている気がする。
 「社会」なんてものは関係なく、ただ、チロのために、人を殺したんではないかな。