読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

いとしき魚愛!

魚の歳時記 (1966年)

魚の歳時記 (1966年)

 荻窪の古本屋、ささま書店で見つけてこの表紙と挿絵にすっかり魅了されてしまった。


 魚博士である末広氏のオサカナ大好き加減がわっさわっさと伝わってくる。のどかないい時代。私がまだ存在しない時代。その空気を吸った。
 たとえばこんなエピソードなんかが出てくる。
 大戦のさなか、末広氏は石川県にある農林省水産試験場の分場にいた。ある夏の日、東京本場の場長が視察に来るというので、どうもてなそうかと思案する。そこで、分場近くの海で釣れるハゼを田楽にして接待することにした。子どもたちにも手伝わせ、場長が訪れる前日にハゼを三十匹ほど釣り、竹で編んだ生け簀に入れ、桟橋のそばの海中につるしておいた。

 その翌日である。場長は三人の技師を連れて午前中に分場に着いた。昼食時になったので、くだんのハゼを料理しようと生け簀のふたをあけてみて驚いた。元気で泳いでいるはずのハゼが、キオの魔術ではないが、一匹もいないではないか。ふしぎなこともあるものだと、生け簀のふちに顔をつけるようにして水中をのぞき込んだわたくしは、思わず叫び声をあげた。というのは、生け簀の底にハゼの死骸が累々としていたからだ。何ものかに臓物を食われ、肉を食われ、骨と皮ばかりになっているのだった。ちゃんとふたをして海に沈めておいたのに、どうしてまた、なにに襲われてこんな姿になったのだろうか。
 わたくしはなかば驚き、なかば怒りつつ、その生け簀を桟橋の上にあげてみて、すぐ犯人がわかった。それはなんと、小さいウミホタルだった。アサガオの種よりまだ小さいウミホタルが、ハゼの死骸の中にも外にもびっしり着いていた。彼らは活動の比較的不自由な生け簀の中の生きたハゼを襲撃し、一矢にしてその肉を食って骨ばかりにしてしまったのである。まったくウミホタルは、見かけによらぬ怪物だということを、わたくしはそのときはじめて悟った。

 ウミホタル、可愛い名前でなかなか恐ろしげな魚貝である。この他にも、カジキの鋭く尖った上顎で心臓を一突きされ死んだ漁師がいたなんて、なかなかショッキングなお話も・・・。しかし、カジキだって生きるのに必死なのだ。殺そうとしている人間を殺すのは正当防衛とも言えるんじゃなかろうか。
 そして、ニシン(にまつわる伝説)の話で私の故郷の近くである江差の地名が出て来たのには驚いた。

 その昔、江差がまだ漁場として振るわなかったころのことである。この寒村に、通称おりえ婆さんという一人の老婆がいた。どこで生まれたのか、また、いつこの江差に来たのか、だれ一人知るものもなかったが、天気を予知し天災を予言して、それがことごとく的中するのみでなく、村人に対して深い愛情を示したものだから、人びとはこの婆さんを生き神さまのように慕っていた。
 ある年の春、そのある夜のうしみつ時である。江差に近い鴎島のほうから一条の光が、まるで箸でも渡すかのように老婆の草屋のほうにさしてきたので、おりえ婆さんは驚いて目をさますと、光を伝って鴎島まで行った。そこには一人の白髪の老翁が岩の上に端座して柴を焚いていたが、おりえ婆さんが来たのを知ると、招き寄せておもむろに小さい瓶を渡した。「おりえ婆さんや、この瓶の中には白い水がはいっているが、これをあす海にまくがよい。海の水はたちどころに米のとぎ汁のごとくに変わるであろう。すると間もなく、海にはニシンという魚が群がり集まるであろうから、それを捕えて、来る年ごとの業とせよ」こういったかと思うと、その老翁の姿も焚火も、ともに消えてしまった。
 老婆はふしぎに思ったが、その老翁に教えられたままに、その翌日、浜べに火を焚き手を洗い清めると、祈りをささげつつ、くだんの小瓶の水を海にまいた。すると、はたせるかな、海の水はたちまち米のとぎ汁のように変わって、ニシンが山のように群がり集まってきた。そこで村人をかり集めて網を打たせたところ、たいへんな大漁で、それ以後、くる年ごとに、春にはニシンがとれるようになったという。

 というのが北海道庁の調べによる江差町の伝説だそうだ。もちろん白い水、といのはニシンの精液のことだ。しかしこれも「今は昔」の話になってしまった。随分大漁の時代があって、鰊御殿なんていうのも出来たぐらいだから。
 この本から、時代と場所を越えて繋がってる何か、親密さのようなものを感じた。日本人であり、道産子である自分?何かそんなようなもの。うまく言えないけど。そしてあー昭和!とにかく本から昭和の匂いがぷーんと。昔は良かったとか言いたくないしそれは幻だと思うけど、なんか好きだね。昭和。