死の棘

死の棘 (新潮文庫)

死の棘 (新潮文庫)

思いやりの深かった妻が、夫の「情事」のために突然神経に異常を来たした。狂気のとりことなって憑かれたように夫の過去をあばきたてる妻、ひたすら詫び、許しを求める夫。日常の平穏な刻は止まり、現実は砕け散る。狂乱の果てに妻はどこへ行くのか?―ぎりぎりまで追いつめられた夫と妻の姿を生々しく描き、夫婦の絆とは何か、愛とは何かを底の底まで見据えた凄絶な人間記録。
新潮文庫裏表紙より)

 『死の棘』読了。正直つらかった・・・。前半で、読み切ることも危ぶまれるほどにドシーンときた。しかしミホとトシオがどうなっていくのか(回復または死?)などど考えると読まずにはいられない。触れたくないのに、血を流しながら読む覚悟をする。最初は当たり前のように「小説」として読んでいたのだけど、ふと「トシオ」は島尾敏雄(著者)の名前と一緒だと気づく。え?じ、実話?私小説??なんて気づいた時にはさらなる苦しみだ。ということは、トシオは死なない。これを書くのだから。それにしてもつらすぎる。
 夫婦とは家族とは何なのだろうか・・・。じりじり痛すぎるくらいにわかる感じと、もう勘弁して!開放してくれー!と思う気持ちの間で私はトシオの味方をしたりミホに同情したり、また彼らを哀れんだりした。彼らは必死に家族であろうとした。子どもたちを翻弄しながらそれでも「過去」の幸せにしがみつくようにして家族であろうとした。それゆえに、これほど命がけの日々なのだ。何度も自殺を、心中を計画するが、結局は痛みも含んだ上で家族として生きることを選んだ。今、特にこの時代では簡単に離婚することもできるし、お金さえいれてくれれば少しの浮気は目を瞑るといったような仮面夫婦なんかもいるわけで、私は何ていうか、そこまで真っ直ぐな、気が狂うほどの思いということのほうがとても貴重な気がしてしまう。それほどに、互いへの思いの強さというものを感じる。
 「発作」という言葉で表わされていたミホの、トシオに対する問い詰め(女のこと)は、実は私は理解できるのだ。傍から見たら「発作」に思われるだろうが、本人にとってみれば気になって気になって仕方がない。本当のことを言えば言ったでまた発狂するのだが、言わなければ言わないで「隠している」と思ってしまう。その堂々巡りに一番苦しんでいるのは本人だ。あえて聞かないでいられたらもっと穏やかに暮せるとはわかっているのに。けれど、触れずにはいられない!!!たぶんミホも自分自身が嫌になっていたことだろう。
 この本を読みながら、同じ状況に陥った時、私は狂うだろうか?とそればかり考えていた。

「死の棘」日記 (新潮文庫)

「死の棘」日記 (新潮文庫)

思いやり深い妻が夫の不実の証拠を眼にし、狂気に苛まれ豹変する―。夫婦の絆の行き着く果てを描き、昭和52年の刊行以来読み継がれる小説『死の棘』。本書は、その背景をつぶさに記録した日記である。不安に憑かれ、夜を徹して責める妻、心身共にぎりぎりまで追いつめられ、心中の相談をもちかける夫…。小説よりも凄まじい夫婦の軌跡を記し、深い感動を呼ぶ日記文学の傑作

 『死の棘』の壮絶な日々の記録。こちらも読み始めた。