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『想い出のカフェ』

『想い出のカフェ ドゥマゴからの贈り物』
 Bunkamura
 1994年9月
吉本隆明中村真一郎鈴木清順辻邦生、出口裕弘、須賀敦子久世光彦、川島英昭、蓮實重彦赤瀬川源平山田宏一池内紀、末延芳晴、野谷文昭青山南亀山郁夫鷲田清一中沢新一鶴岡真弓沼野充義中条省平巖谷國士柴田元幸など50人、20か国のカフェの想い出をつづった珠玉のエッセイ集。 挿画・山本容子。装幀・菊地信義

 徒然舎さんで購入の古本。 
 生きてる人も死んだ人も、まあー豪華な面々が綴る想い出のカフェ。50人分!やっぱりヨーロッパが圧倒的に多い。それぞれが語るカフェ哲学、カフェでの出来事、時にはカフェなんて嫌いだという人までいる。人は何故これほどにカフェに惹きつけられ、カフェとともに生きてきたか。
 たとえば、こんな具合である。印象に残ったものを書き写しておく。

 ・カフェの定義。

 この本(『カフェ・フランセーズ』のこと)のテキストによれば、それは「公的であり同時に私的である、アンティーム(親密)であり同時にアノニム(匿名)である」空間なのである。アンティームであり、アノニムというのは実にカフェの特徴をうまくとらえたいい方だ。半ば閉ざされ、半ば開かれている。私はいつでもここを出ることができるし、いつでもここにもどってくることができるのだ。(海野弘/作家・評論家)

 ・インドガイドブックを見て辿りついたお店にて。

 ここジョドプールのラッシーは、そんじゃそこらのラッシーではない、「ウルトラ・リフレッシュ・ドリンク」だ、とそこには説明が書かれ、驚きマークのあとに、「トラーーイ」と書かれていた。試してみな、でもあとは保証しないぜ、といった口調だ。僕はとうぜんのことながら、この飲み物に焦がれた。(中略)
 おやじが、スプーンを立ててみろ、と言うから、僕はそうすることにした。ところが、ラッシーからスプーンがなかなか抜けない。それほど、濃いクリームなのだ。スプーンはたしかに立った。おやじは「こんなラッシーはインド広しと言えどもない」と自慢をくりかえす。口に運ぶ。このときあのガイドブックの「トライ」の意味が、僕にははっきりと理解された。あれは、奇怪な体験を共有する、自分の(不幸な?)仲間を増やすための、巧妙な罠であったのだ。(中沢新一/宗教学)

 ・日本の甘味喫茶

 甘味喫茶で、つぶあんのクリームあんみつを、ゆっくりと、しかしアイスクリームが融けてしまわぬだけの速度をキープし、アイスとあんのバランスを考えつつ、かつ最後にかんてんばかり残ってしまわぬよう配慮しながら食べる。それは日本におけるカフェ文化の、最良の具体的実践のひとつである。(柴田元幸アメリカ文学

 ちょうど、並行して読んでいた『Traveller』とのシンクロもあったりなんかして、それぞれの国のカフェに惹きこまれ浸ることができた。

 気持ちが高ぶりすぎて、思わず夫に言う。
 「ねーねー、定年退職したらさ、1年間だけヨーロッパに住まない?イギリスに住んで、あちこち旅するの。」
 夫「いいよ。」
 ・・・・・・・あっさりOK出ました・・・・。

 じ、自由だ〜!!!!