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行きつけの店

行きつけの店 (新潮文庫)

行きつけの店 (新潮文庫)

 国立の増田書店で購入の1冊。増田書店の犬(チビ)の話が実はこの本の中にも出て来て、何だかぐるりと一周したような不思議な気持ちになる。もちろん、ロージナ茶房も出てくる。この本で紹介されているお店で唯一行ったことのある喫茶店だ。
 山口瞳という人は、本当によく「質の良い」美味しいものを知っている。それも日本各地で。何故知るのかというと、お店の人と話すからだ。話すだけじゃない。親戚以上に親しいようなつきあいになるのだ。そこから情報を得、機会があれば行ってみる。またそこで誰かが連れて行ってくれたお店の人と親しくなる。店やホテルの人の名前をちゃんとフルネームで書いているところに感心をした。
 お店の質の良さ、というのは実は、店で働く人間の質の良さであったというのがだんだんとわかってくる。無口で頑固な職人あり、人情家で話好きあり、みんなが山口瞳に親切にするのは、山口瞳がそれだけ、店や人を尊敬し、大事にしていたからであり、気に入ったお店には、タイトルどおり何度も何度もそこへ足を運ぶからだ。店と客、を超えて、人と人、という本質的なつながりになっていくところは、感動を呼ぶ。
 山口瞳は、父が亡くなった時、通夜の仕出し料理について一体どうしたらいいものかと悩む。銀座の小笹寿しの岡田さんぐらいしか心当たりがない。頼んでみると、岡田さんは「ようがす」とだけ返事をし、承諾してくれた。もちろん、寿司は大好評。しかし、銀座の高級寿司店である。山口瞳は、おそらく二百万程度の莫大な金がかかる、と借用書を書くつもりで銀座に出向いた。

「十万円です」
 岡田さんが平然として答えた。私は手洗いへ立つふりをして便所の中で泣いた。みっともないが大声で泣いた。裏に何があったのか知らない。岡田さんがどれだけ自腹を切ったのか私は知らない。「岡田さん、十万円だって?そりゃないぜ」。十万円というのは、ギリギリに安く見積もっても仕入値の半分というところではないのか・・・・。しかし、私は、黙って好意に甘えることにした。

 この本は、グルメガイドでも、作家の行きつけの店紹介の本でもない。それぞれの人間の、生き方の本だと思った。「信念」が一本貫かれた生き方の話だ。