凡人読むべからず?

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

 夕飯前にバタイユなんて読むんじゃなかった・・・。一気に食欲が失せた・・・。
 しかし、『目玉の話』はすごい話だった。目玉どころじゃないが、目玉がものすごい威力。おぇ。吐きそう。

 ・・・そのエロティシズムは単なる性的興奮とはほとんど関係がない。それは、バタイユが人間の可能性の極限として考えぬいたエロティシズムであり、本書の決定的な特異性は、エロティシズムと哲学、セックスと形而上学とが荒々しく、直接に結合されていることなのだ。(『マダム・エドワルダ』解説より)

 「エロティシズムとは、死に至るまでの生の称揚である」という言葉はあまりに名高いバタイユによる定義だが、これは、個人という非連続的な存在が、エロティシズムと死のなかでのみ原初の連続性の幻影を望見する、という哲学的な命題であると同時に、バタイユ的なエロティシズムは否応なくその内部に死の幻影を抱えこむ、ということでもあって、『目玉の話』は、そのバタイユ独特の死とエロティシズムの結合がサド的な回路を通って実現される稀有の文学なのだ。(『目玉の話』解説より)

 とか何とか・・・一応哲学的視点では、そういう解釈になるだろうなーというのはわかる。わかるんだが・・・・
 ただの変態プレイにしか思えない!!(しかもかなり異常な)
 こんなの、高校生の時からむさぼり読んでいた中条さん(訳者)・・・!村上龍とかモロ影響受けてるんだろうなーとか。本当、そんなことしか読み取れない自分が残念でもあり正常でもあり、わたしという人間がいかに凡人であるかが改めてわかった1冊だった(泣)