女生徒

女生徒

女生徒

 先日、ひぐらし文庫さんで買った。
 現代の東京の風景、そして高校生の女の子の写真。そこに太宰の「女生徒」。
 久しぶりに読んだ。読むたびに違う味わいがある。
 わたしはこの部分が好きだ。

 おみおつけの温まるまで、台所口に腰掛けて、前の雑木林を、ぼんやり見ていた。
 そしたら、昔にも、これから先きにも、こうやって、台所の口に腰かけて、このとおりの姿勢でもって、しかもそっくり同じことを考えながら前の雑木林を見ていた、見ている、ような気がして、過去、現在、未来、それが一瞬のうちに感じられるような、変な気持がした。
 こんな事は、時々ある。誰かと部屋に坐って話をしている。テエブルのすみに行ってコトンと停まって動かない。口だけが動いている。こんな時に、変な錯覚を起すのだ。
 いつだったか、こんな状態で、同じ事を話しながら、やはり、テエブルのすみを見ていた、また、これからさきも、いまのことが、そっくりそのままに自分にやって来るのだ、と信じちゃう気持になるのだ。
 どんな遠くの田舎の野道を歩いていても、きっと、この道は、いつか来た道、と思う。歩きながら道傍の豆の葉を、さっと毟りとっても、やはり、この道のここのところで、この葉を毟りとったことがある、と思う。そうして、またこれからも、何度も何度も、この道を歩いて、ここのところで豆の葉を毟るのだ、と信じるのである。

 いつもわたしが、そのへんを歩いていて感じているまさに、それ、がここにある。何度も何度も思っては消え、思っては消え、繰り返していることだ。過去を懐かしむような、未来を思い描くような、その両方が同時にそこにある。誰にも、うまく伝えることが難しい、あの感じがここに書かれてる。
 この時も、そうだ。→2008年12月6日(御府中日記)