束芋

 横浜美術館に行った。夫が好きな作家、束芋の、「断面の世代」を観る。
 わたしは、何の予備知識もなく彼女の作品に触れたのだけど、最初は何だか怖く、グロテスク、そして、じわじわと引き込まれてしまい、気づいたら完全にはまりこんでしまう、という体験をした。何だかわからない。空恐ろしいものの気もしつつ、目が離せない感じ。吉田修一の『悪人』という小説の連載で挿絵を書いていたそうである。(わたしは全く知らなかった)吉田修一は、束芋の絵に逆に引きずられないように書かなければいけない、と意識したらしい。それくらいのインパクト。
 束芋は、わたしと同じ1975年生まれ。そしてその70年代生まれを「断面の世代」と呼ぶ。もちろん「団塊の世代」に対抗した名前だ。

束芋 断面の世代 Tabaimo

束芋 断面の世代 Tabaimo

 大きな塊の中の一点として自分の存在意義を見出し、その大きな塊の成した功績を自分のものとして感じるよりも、私たちは一つの存在としての機能の功績を重んじる。いくつもの存在を合わせ集団化することで大きな成果が得られるような場合でも、個の尊重と引き換えなくてはならない成果なのであれば、それをよしとしない。
 全体の形態からは想像もつかないような一つの部品となるよりも、ペラペラな二次元の存在だとしても、全ての要素を見て取れる断面でありたいと願う。

 奇妙な絵と映像で織りなす、個と世界との関わり。美と醜とが交ざり合う現実と幻想。何だか気持ちが悪いが惹かれる。見たくて見たくなくて、そして結局どっぷりと足元をとられて動けなくなる。
 本当はその場にうずくまってしまいたかった。