悪人

悪人

悪人

 横浜美術館束芋の作品を観に行ってから気になっていた『悪人』を読む。例のごとく一気読み。途中でやめることのできない本だった。それぞれの思いは醜く儚く美しい。読み終わって、世の中に本当の「悪人」なんているのだろうか、と考える。悪の凡庸性を考える。たとえばオウムについて、たとえばアイヒマンについて。
 「どっちも被害者になれない」という祐一。だから中和しようとしていた。愛に飢え、愛を探し、さまよって。そうでなければ見つけられなかった。この道を通らなければ感じられることのない感情。すべてが苦しい。
 フランス映画でも観ているかのような破壊的な儚さ、胸苦しさとやるせなさを感じた。
 娘を失った父の言葉は、「昔の人」のそれで、きっとダサくてかっこわるくて惨めなだけかもしれないが、あまりに痛々しく本質で泣きそうになる。

「今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎったい。大切な人がおらん人間は、何でもできると思い込む。自分には失うもんがなかっち、それで自分が強ようなった気になっとる。失うものもなければ、欲しいものもない。だけんやろ、自分を余裕のある人間っち思い込んで、失ったり、欲しがったり一喜一憂する人間を、馬鹿にした目で眺めとる。そうじゃなかとよ。本当はそれじゃ駄目とよ」

束芋 断面の世代 Tabaimo

束芋 断面の世代 Tabaimo

 読み終わってから束芋の画集を改めて観てみると、あれほど理解不能だったはずの画が、切なくもねっとりと絡みつくように飲み込めた。