おやとこ

 今日はもうテレビは見ない。ネグレクトで子どもが餓死というようなニュース。あまりにつらすぎて沈み込む。「お水をください」「ごめんなさい」と子どもが言っていたとかいうことまで証言するような人がいて、さらに落ち込む。長く続く苦痛、そして衰弱して朦朧として干からびて死んでいく。我が子のそんな姿をどんな思いで見つめていたのだろうか。ひと思いに一瞬で殺されるのと、どう違うのだろう。
 実はわたしは、児童相談所に通報しようかと思ったことが何度かあった。今住んでいるマンションの斜め下の部屋から毎日聞こえてくる、母親の怒鳴り声。泣き叫ぶ子どもの声。何度も何度も「ごめんなさい」と謝り続け、それでも「お前なんて出て行け!」と聞こえたりしたこともあった。すごく苦痛だった。でも、どこかで「人の家のことに口出ししていいのだろうか」と立ち止まってしまう。勇気が出ないのだ。どこまでが正常な「しつけ」でどこからが異常な「虐待」なのか、判断ができなかった。目の前で見ているわけでもなく、そして何より、「わたしが」通報した、と知られたら嫌がらせされたりして?なんてことも考えてしまっていたのだと思う。本当に情けなく悔しい話だけど。
 今年に入ってだったろうか。夫婦は(おそらく)離婚し、それぞれどこかに引っ越して行った。お母さんが実家に帰ったなら、子どもは少し安心して暮らせているだろうか?と案じている。あの時、何もしてあげられなかった。してあげられたとしても、何か変わっただろうか?
 密室で起きること。家庭の中まで通常他人は入りこめない。だから怖いのだ。
 何故、虐待をする親たちは、子どもと自分を別の人間だとわからないのだろうか。何故、憎い夫に似ているというだけで、「夫ではないその人」に対して攻撃ができるのだろうか。
 どうしても理解ができない。親たちは、何を勘違いしているんだろう。お前から出て来たからといって、その人はお前ではない。お前の所有物でもない。お前が「作った」とでも思うな。
 死んだあの子どもたちが、どうか「楽になった」のであってほしい。苦しみから解放されたのだと思いたい。
 これを書いてる今も泣けてくる。何もできやしないのに。