読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

何かが変わる瞬間

 ここのところ数カ月、10数年前に会ったっきりの友人からのメールでカウンセリング的な作業をしていることに気づいた。友人某とは、学生時代に知り合ったが、現在は年賀状のみのやりとりだけになっていた。某からはその他にハガキなどもらうこともあったけれど、わたしも働いていた当時は心身ともに余裕もなく、あまり返事など書かなかったように思う。一度メールアドレスをおしえたこともあったが、あまりに依存的な態度に、今よりずっと器も小さくしかも人のネガティブな影響をもろ受けるメンタル面の弱さゆえに、こっちがアドレスを変えた際に某には連絡していなかった。今思うとひどい話だが、当時は自分のことで精いっぱいで、自分を「落とす」相手を極力避けていたのだった。
 今年の年賀状で、相変わらずの鬱っぷり&苦しさを露呈した某。「良かったらメールください」と携帯アドレスが書いてあった。何だかわたし以外に彼女を気にかけてあげられる人はいないのではないか、と思い、メールをした。こうやって中途半端に手を出すから良くないのかもしれないが・・・。
 するとそれ以降、何かあるたびにメールが来るようになった。
「もう、私なんて、生きている意味がありません」
「私なんて価値がないんです」
「私がいなくなったって誰も気づかない」
「私は本当に孤独です」
「誰も私のことなど相手にしません」
「みんな私には表面的にしかつきあいません」
 そんな内容ばかり。ある夜、わたしが友達と楽しく外でご飯を食べている時に「もう、死んでしまいたい」的なメールが来てしまい、その日のご飯が一気にまずくなったということもあった。あの時一緒にいた友達に本当に悪いが、話に集中できず、何度もメールをやりとりして説得するはめに(電話すると書いたら拒否されたのでメールのみのやりとりとなった)。
 こんなことを繰り返して、少々疲れてきた時に、また長文ネガティブメールがきた。わたしがセラピーをすすめると、「いらない」と言われ、どうしていいのかわからなくなる。わたしにできるのは、そういったセラピーなどの手段を使って、少しずつでも自分を癒していく、という方法を提案することくらいだ。わたしだって感情の激しい人間だから、某に対する苛立ちはあったけれど、毎回のメールをきちんと読み、受け止め、共感し、わたしは味方であると言い続けた。すると今日はじめて「ごめんなさい」というメールがきたのだ。
 会社で、いろんな人に言われのないことで悪く言われ責められて、その時に気づいたそうだ。(これはこれでどういうことなんだろうと心配ではあるが)「毎日のようにネガティブで一方的なメールを送ってごめんね!」って。そんなこと気づくそぶりなど全くなかった人だっただけに、これは成長だー!とちょっと嬉しくなった。気づきが降りてきたー!って。素人ながらもカウンセリングの本を読んでおいて良かったと思った。だってわたしは普通にしてたらついつい、自分の意見を押し付けてしまいそうだから。今は自他境界線をしっかり引けるようになって、影響も受けづらくなった気がする。これはわたしの進歩だ。
 わたしが「救ってあげる」ようなことはできないが、彼女の中で何かが変化するきっかけになればいいのにな、と思っている。