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自殺手助け組織

 前回の「無縁社会」の記事に沢山の反響ありがとうございました。脅しとかではなくて、何かを考えるきっかけになってくれたらうれしいです。
 今回のもだいぶ重たい話ですけど・・・・興味ある方は是非とも読んでください。わたしは、考えすぎて頭から湯気出てます。まだ眠れそうにありません。

COURRiER Japon ( クーリエ ジャポン ) 2010年 06月号 [雑誌]

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村上春樹関連が載ってて(夫が)買った本。わたしが気になったのはこの記事↓

“自殺を手助けしてくれる組織”がスイスにあった!

 恐る恐るページをめくる。そして、これが本当にあるのだと知った・・・。
 元々は弁護士である方がやっている組織で、自殺したい人はまず、年会費を収めこの組織の会員にならなければならない。死ぬ心構えができたら、診療録のコピーと何故死にたいのかという手紙を提出し、1860ポンド(日本円で約25万円)を支払うことになる。自殺の日は予約制で、家族や友人などの付き添いのもと、この組織が用意した部屋のベッドで、医師が処方した薬を飲んで、人生は完了となる。この模様はビデオカメラで撮影され警察に提出される。本人の意思でここに至ったということを証明するためだ。わたしは、スイスで自殺ほう助が認められていること自体知らなかったのでかなりの衝撃を受けた。
 ここに来る人たちは末期の患者や不治の病に苦しんでいる人が多いというが、中には長引くうつ病から解放されたいという人や、20代の若者もいる。この噂を聞きつけて外国からも“客”は来るらしい。しかし予約無しでは受け付けないとのことだ。
 代表のミネリ氏はこう言う。

 「死は人生の終わりです。良い人生の後には、良い死があるべきです。良い死というのは苦痛のない死、『良い人生を送ったから悔いなくこの世を去れる』と言いながら死ねることです。現代の死は施設や病院に押し込まれ、孤独なものになっています」

 そうなのだろうか。わたしは考え込んでしまう。尊厳死という言葉がある。もちろんどんな状況においても生きることだけが正しくて死ぬのは間違っている、と言うつもりはないけれど、どこでそれが尊厳死であるか否か、という線を引けばいいのだろうか、というところでどうしても立ち止まってしまう。
 精神的苦痛から逃れたい。肉体の痛みから解放されたい。こんな姿で生きていてもつらいだけだ。そう言って自ら死を選ぶ人たち。その全員に一切の甘えや、回復の見込みというものがないのだろうか。それが「逃げ」でなく「尊厳」であるとの判断基準はどこにあるんだろう?そういうのって診察した医者が決められるものなのかな。
 そもそも人生それ自体の目的とは、意味とはなんだろうかと考えてしまう。全うすることから得るものはないのだろうか。それはただ惨めなだけなんだろうか。病院や施設で死ぬのがそんなに悪いことなのか?
 わたしにはわからない。ふとアシュリーのことが頭に浮かんだ。プロジェリアという難病で生まれ、痛みや苦しみと戦いながら最期まで夢を持って前向きに生きた少女のことだ。ひどく悩んでいた時、私は彼女の言葉に何度も救われた。
 人生において、望むすべてが叶えられるわけではない。時に残酷に思えるような現実を受け入れなければならないこともある。ではその、残酷な現実はすべて人生にとってマイナスなのだろうか。それを受け入れてなお、生きようと思った時に見える、今までとは違った風景というものを信じることはできないのかな。
 死にたくなるような痛みと苦しみ。それに耐えながら生きること。楽になりたいと願って死ぬことを切望する人。それをわたしは否定することもできないけれど、安易に肯定することもできない。それをすぐに肯定してしまったら、この世のすべての苦悩の意味が無くなってしまうような気がして。
 痛みには鎮痛剤、憂鬱には抗うつ剤、不安には抗不安薬、極度の苦悩には死、
 本当にそれでいいのかな・・・。