回復


 録画していた、放送大学の『スクールカウンセリング』を見て、うっかり泣きそうになりました。あぶないあぶない。過去のテレビ授業、そして『カウンセリングハンドブック』を読んでから、すっかりファンになってしまった東京大学・倉光先生の説明です。
 うつの発生と回復の過程、というフリップ。
 左上は生まれたばかりの人間。土台に「生」があり、しっかり「休」むこともしている。よく「遊」んで、「学」び、そして「働」く。
 それが年を取るごとにバランスを崩していく(右上図)。
 働く比重が極端に増え、休息することが減り、生き生きと生活できなくなった時に、パタンと倒れてしまう(左下図)。
 これが「うつの発生」だ。傾斜があるので、一生懸命に働こう!と頑張って「働」を乗せても、転がり落ちてしまい、働くことができない。
 それを、少しずつ時間をかけて修復していく。立て直していく(右下図)ことになる。この一番下の「生」を倉光先生はこう説明しています。

この基盤にある「生」というのは赤ちゃんの生き生きしたことではなくて、うつの場合は自殺しない、ということなのです。そして生き続けて苦しいけれど生き続けて、よく休む、ということなのです。

 自然に触れること、動物とたわむれること、様々な自然の活動の中から、自分を取り戻していく作業をしていく、ということ。
 最後に、滝口先生に、「まーわたくし、先生のお話にたいっへん感銘を受けましてですねー。本当ーーに素晴らしいお話、本日はありがとうございます。」とめっちゃめっちゃ褒められて、照れ笑いの倉光先生、とてもおちゃめな感じでした。もう還暦近いようですがとてもお若い雰囲気です。東大行きてぇ〜!!!!(←こういう人は絶対に無理です)
 昨日の記事を書いてから、ずーっと考えていた、自殺について、だけど。ここでううう、と泣きそうになるということは、わたしは、やっぱり苦しくても「生きれるところまで生き続けてほしい」と誰かに対しても思っているということなのかもしれない。
 カート・コバーンはどうだったか。少しずつ色あせていくことを嫌ったロックスター。自らの生涯を演出して最後までカリスマのまま死んで衝撃を与えた男。破天荒で儚い人生を歴史に残して行った。痛々しい叫びを残して消えていった。若いころ、わたしはそれは彼(ら)の特権だと思っていたけれど、それは弱さだ。頂点で死にたいというかっこつけだ。これ以上苦しみたくないという甘えだ。そして何よりも哀しみが充満している。
 生きる、ということだけが絶対的な正義であるとは言わないけれど、どうか、生きてほしいな。「死んで楽になりたい」とか「自殺」とか検索でここに辿り着く人たちに、特に伝えたい。
 その苦しみが永遠なのかどうか、何故、この一瞬を生きているわたしたちにわかるのか。「死んだら楽になる」と誰が言ったのか。そして言った人は、何故それがわかるのか?知ったかぶりをしないでほしい。
「死んでしまおうか」なんて思っている現在を生きる君へ