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灯りをともす一冊

支援から共生への道?発達障害の臨床から日常の連携へ

支援から共生への道?発達障害の臨床から日常の連携へ

発達障害不登校、虐待…生きづらさを抱える人を前に「僕に何ができるだろう」と自問自答する児童精神科医。診察室を出て、自ら教室や福祉施設へ足を運び、そこで培われていく「連携」、そしてさらにめざす世界とは。注目の医師が綴る、心の軌跡。

 こんなに医者の人柄がにじみ出ている本はそうそうない。医者になる前に演劇に強い憧れを抱いていたというだけあって、情感溢れる文章。飾らずわかりやすい言葉で、謙虚に前向きに患者と向き合って行く、そして希望を捨てない、先生の「仕事」というより「生きざま」に心打たれる感じ。沢山の反省と後悔と、それを克服していく人間らしい姿。患者も医者もである。生きることとは何か、その上での障害とはいったい何なのか。障害の名前ではなくまずその人自身であることの大切さを先生は診察室で、ある両親にこう話した。
<この子を丸ごと受けとめたい>

 三歳を過ぎた男の子を連れて相談に見えたご両親を前に、しばらくその子と遊んでから、ご両親と僕は話をしました。
(中略)
「三歳で、自閉症かもしれないと言われたことは、とてもショックだったと思います。おそらくこれまでにもたくさんの情報を集め、ご両親としてもいろいろと悩みながら、考えてきたことだろ思います。
 現時点では、僕もその医学的判断を正しいと思っています。でも今、僕は翼くんと楽しく遊べました。別の遊びの誘いにも機嫌良く付き合ってくれました。僕は翼くんと一緒にいて楽しいなと思いました。
 ご両親はこれから、翼くんの成長に付き合ってほしいと思います。決して自閉症の成長とか変化に付き合うのではなく、翼くんの育ちに付き合ってほしいと思います。後から付いた名称が何であれ、この子は、ご両親の元に生まれ、翼くんと名付けられたかけがえのない存在である、ということがもっとも大切なことですから」

<聴くことで生まれる希望>

 相談に来られる方は、皆一様に追い詰められています。自らを追い詰める場合もあれば、周囲から逃げきれなくなっていることもあります。僕にできることは、「変える、癒す、気づかせる」ことではないのです。生きることにつまずいている方々が、それでも相談に来てくれたことに対し、それはあまりにもおこがましく申し訳ないと思うのです。
 下坂幸三は、面接において、素朴に虚心に聴き入ることの大切さを説きました。確かにそれは大切ではあります。しかし僕にとって、それは聴く側の半身であり、もう半身で希望の光を一緒に探し当てることが必要なのではないかと確信しています。しかしそのためには、まず僕が希望を失っていない、ということが必須条件なのです。 

 わー、これはわたしも「傾聴」だの「受容」「共感的理解」だのという一般のカウンセリング技術を少し学ぶうちに、最近特に考えていたことだった。聴き受けとめることとは別に、一緒に希望を見つけるということの意味がものすごくわかる。根拠のない励ましとかでは、決してない。何て言うんだろ、生きることそのものについて。ここに生まれ、こうして出会ってここで話していることについて。もう、その時点で、希望はそこにあるのかもしれない。今、生きてるんだから。人は完璧な絶望の中では生きることはできないとわたしは思っている。
 なにげなく選んだのだが、何だか素敵な本を読みました。発達障害のある人と関わりのある人や、心理学やカウンセリングを学ぶ人、福祉の現場で働く人も、自身も生きづらさを感じている人にも・・・あなたの心にほわーっとした灯りがともす一冊だと思う。