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魂のみなもとへ―詩と哲学のデュオ

魂のみなもとへ―詩と哲学のデュオ

魂のみなもとへ―詩と哲学のデュオ

 久しぶりのゆったりとした夜の時間である。そんなときはこの本を。
 谷川俊太郎の詩を選び、長谷川宏が短文をつける。テーマは「生・老・死」。日々の暮らしを忘れ、そして思い出され、そちらとこちらを行ったり来たりしつつ、読む。ベッドに仰向けになって、枕を高くして、とてもとてもリラックスして読む。
「旅」

 旅に出たとき、人は世事から解放される。世事から解放されたい、という思いが、旅に出る大きな理由の一つだ。
 解放されて、旅の人は、普段とはちがう、もう一つの世界を生きる。いままで生きてきた時間がいったん停止し、別の時間がはじまる。別の時間、別の世界は、夢のなかの時間と世界に似て、脈絡なく浮遊する。浮遊の感じがすなわち、旅の解放感だ。

 これを読んだ時、わたしが思い出したのは、仕事で出会った、ある認知症のおじいちゃん(98歳)のことだ。おじいちゃんは、若いころ日本中を旅したそうだ。すべての都道府県に行ったらしい。旅が好きなのだ。
 今は、奥さんはもうとっくに亡くなってしまい、子どももおらず、親戚とも疎遠で1人で暮らしている。腰は曲がったものの1人で歩くこともできる。そして、専門用語でいうところの「徘徊」を繰り返している。
 おじいちゃんに初めて会った時、おじいちゃんはわたしに日本全国の旅の話をした。そして古いアルバムを取り出して見せてくれた。何度も何度も同じことを話してくれた。
 その時、わたしは思った。あれは「徘徊」なんかではなく、「旅」なのだと。
 今も、この日常から抜け出し、ふっと何処かに行きたくなるだけなのだ。そこにわたしたちは、老人介護の辞典から勝手な用語を当てはめてしまう。
 ああ、もしかすると、認知症という病気になったのも、彼なりの「旅」なのかもしれないな。世事から解放されるための浮遊。時間がいったん停止して、今、この現在のことはよくわからない。でも過去のことはずーっと覚えている。