あふれる刺激、ほどける私。

発達障害当事者研究―ゆっくりていねいにつながりたい (シリーズ ケアをひらく)

発達障害当事者研究―ゆっくりていねいにつながりたい (シリーズ ケアをひらく)

 久しぶりに本を読み終わる。←何だかすごい言葉だな。そうなのです。仕事のあまりの忙しさに、読もうとして開くは寝て、寝て起きては働いて、家事もせず、休みも用事があって取った休みなので、「何をしようかしら?読書でも?」なんていう選択すらできずに、細切れに文字を追うだけでこの5カ月を過ごしてきた。立ち止まることができなかった。今日は珍しく、朝の勤務と、その後夕方の勤務、という非常に「間」のあいたシフトになっており、その隙間でベッドに横になりながらの読書。わお、この感覚久しぶり!懐かしい!
 この本は、アスペルガー当事者と脳性麻痺当事者の共著という形で書かれている。医学的な意味としての「自閉」とは少し異なる概念かもしれないけれど、著者らが感じている「感覚過敏」「こだわり」の感覚を造語を使ってでもとにかくを表現しようとしている、人の体に入るような体験ができる本だ。
 「普通の人」が意識せずに自然に感じていること。たとえば「おなかがすいている」を一つ取ってみても、自閉圏の人にとっては、手足が冷たい、頭皮がかゆい、胸がざわざわする、ぼーっとする、動けない、倒れそう、胃のあたりがへこむ、胸が詰まる等々の乱立する身体感覚が並列に感じられ、心理的感覚も合わせ、その中から「おなかがすいている」に関係する感覚をまとめあげていく、という作業をするのである。だからスロウペースにならざるを得ない、とか(フリーズすると表現している)、モノの自己紹介(アフォーダンス)が頭の中にあふれてパニックになることなど、彼女/彼らがだいぶ面倒な過程を経て「普通の人らしく」生活していることがわかる。
 自閉圏の人が、音や匂いや色やその他の感覚に敏感、というかわたしとは違う感じ方をしているのだな、というのは彼らと接しているとよくわかる。こちらが聞こえない(というか聞き流している)音等を感じ取り、「快/不快」を訴えることがあるから。この、溢れかえる情報の中でちくちくヒリヒリ痛みながら、うるさいうるさいとはねのけながら、生きていくことの大変さよ!わたしも感じやすい人間と自分を認識していたけれど、それは一種のうぬぼれ、まったくセンシティブじゃねぇよ、痛点あるの?わたしはよ。と思うのだった。いろんなことに慣れすぎてしまっている。