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『累犯障害者』

累犯障害者 (新潮文庫)

累犯障害者 (新潮文庫)

刑務所だけが、安住の地だった―何度も服役を繰り返す老年の下関駅放火犯。家族のほとんどが障害者だった、浅草通り魔殺人の犯人。悪びれもせず売春を繰り返す知的障害女性たち。仲間内で犯罪組織を作るろうあ者たちのコミュニティ。彼らはなぜ罪を重ねるのか?障害者による事件を取材して見えてきた、刑務所や裁判所、そして福祉が抱える問題点を鋭く追究するルポルタージュ

ものすごい本を読んでしまった。まったく想像できていなかった。ショックを受けて、驚いて、哀しくなって、悔しくて、無力感を味わって、虚しくて、感情ぐらぐら揺れて泣けてきた。
タブー視されがちなテーマだが、だからこそ、知る機会を逃してはいけない気がする。なんと目隠しして生きてたことか。でもあえて見ないようにと避けてきたわけではない。本当ーに「知らなかった」のだ。テレビや新聞が大きく取り上げるにはいろんな問題がありすぎたんだろう。(森達也が言う自主規制の類だ)でも、知ってしまった今、知らなかった時に戻ることはできない。
このあいだあった、大阪の事件知的障害のある男性を誘導して自白調書を作成していた)と瓜二つの話も出てくる。そんなことは日常茶飯事で、明るみに出ただけラッキーなのかもしれない。すごく悔しい。

本来の、福祉の在り方を考えさせられる。そしてそこからこぼれ落ちてしまう人たちについて考える。その人たちこそが福祉が必要な人たちだ。しかし厳罰ムードに阻まれ、そして時間の経過で廃れていくブーム的な事件の数々。それについて深く考える前に次の事件に飛びついていく、飛びつかせられるわたしたち。
恐ろしく虚しく、そしてじたばたしたくなるような焦燥感。
しかし、この本が出版されてから、様々な動きがあったそうだ。少しずつでも確実に変化し始めていることを文庫本あとがきで知った。変わるにはまず知ることだ。知ってみんなで考えていくこと。蓋をしたままでは、中身がどうなっているか、いつまでもわからない。たとえそれが腐っていたとしても、密閉されたままではどうすることもできない。何の手出しもできないのだから。
どうか、勇気を持って開いて。そして一緒に考えてほしいよ。
最後に、あとがきの最後の部分を引用します。

「KY(空気が読めない)」なる言葉に象徴されるように、今、日本社会は、少しばかり異質な人たちをいとも簡単に排除してしまう、そんな風潮に覆われているような気がする。このような殺伐とした時世のなかでは、福祉とつながっていない知的障害者は、真っ先に排除される対象となるのではなかろうか。
 地域で暮らす知的障害者が、不審者として通報され、警察が駆けつけた時にパニック状態で暴れだしてしまい、その結果、「公務執行妨害」で逮捕される。あるいは、児童公園で、言葉も発せずに無表情のまま子供を抱き上げたため、危険人物として通報され、「未成年者略取誘拐罪」で逮捕された知的障害者など、実際にあったこうした例を挙げれば、きりがないのである
 前述したような、受刑者と成り果てた障害者への地域定着支援策も重要だが、やはりここは、障害者を刑事司法の入り口に向かわせないための「制度改革」と「意識改革」も同時に進めていく必要があるだろう。生まれながらの障害を抱えるがゆえに孤立し、排除されてしまう。その後の行き先が刑務所、ということでは、あまりにも理不尽すぎる。障害があろうがなかろうが、差別することなく、すべての人々をインクルージョン(包摂)していく社会。それを実現できるかどうか、まさに国としての力が試されているのだ。

どうか、インクルーシブな社会が実現していくように。
まずは、知って。