『ヒミズ』

ヒミズ』観てからしばらく経つ。
被災地で撮影された映画。
観終わったときは、あの風景の中で「演技」をすることの空々しさで、わたしは褪めた気持ちになってしまった。震災という出来事があまりに大きすぎたから、そこで表現する「虚構」は意味がないって思ってて。
だけど、じわじわと作品自体が身体の中で育ってきたみたいだ。
暴力。
身体的暴力。言葉での暴力。
この映画のほとんどはそういった暴力で埋め尽くされていて、そして、ただ「普通に生きたいんだ」っていう(ささやかな)思いだけがキラキラと眩しい。保障されて当然の生活が破壊されてく感じは、ヒミズの主人公たちの、こんな親の元に生まれてしまった自分、であり、震災ですべてを失った“被災者”だ。

ヒミズの主人公たちが生まれてしまった場所。あの親って何だろう。
身体的暴力と、暴言により支配する、保護者ですらないような人間。
そこには「人権」という概念はない。できてしまった命。本当はいらなかった命。そんなものあるわけはないけれど、「親」はそれを邪魔者として取り扱い、自分が「作った」ものであるから、自分が如何様にでもしていいという思いこみをしている。
その、圧倒的な暴力を見ていると、わかりやす過ぎる悪だなぁと思った。
世の中の悪はもっと巧妙で、わかりづらい。「自分はこれだけお前を思ってやってあげているのに。お前が悪いんだ」と、相手に罪悪感を植え付けて逃げられなくさせる。
自分が悪いんだ。自分が悪いから怒られるんだ。なんて自分はだめなんだ。それなのにこうして見放さないでいてくれる親(や配偶者)の役に立たなければ…。なんて縛りつけられていたりする。
いかに、自分の人生を生きることが難しいことか。
生まれ育った環境や、今いる場所、思考の癖、つきあいのある人たち、さまざまな要因が重なりあって、判断、選択をしている。だれでも、望む人生を選んでいいはずなのに、何かに縛り付けられていることも多いのかも。
わたしだって、そうなのかもな。
「これでいいんだ」「これでよかったんだ」って思おうとしていること、たくさんある。