いじめ自殺

いじめ自殺の話を聞くといつも耳をふさぎたくなる。何とか殺人とかなんとか自殺の比ではない。その身震いするような嫌悪感とか暗澹たる気持ちはどこからくるのか。わたしには身に覚えがあるからだ。
書いてみる。
小学生の頃だった。もう30年近く前だ。
わたしは転校した先の学校で初めて「いじめ」というものを体験した。先生までも怖くて職員室に逃げ込んでしまうような強烈ないじめをする子がいたのだった。今思えば、その子も親の愛情不足であるとか、家庭環境に大きな問題があったことは想像がつくけれど、その時のわたしにとっては、理由がなんであれ、青くなるほど殴られたり先の尖ったもので刺されたりと、身体を痛めつけられることに対する恐怖でビクついていた。またテストで点数を取るなと脅され白紙で出さなければならないなど、心理的にも追い詰められていた。ものやお金も取られるなど、犯罪の域にも達していたと思う。
その時、小学生ながら何度も「死」を意識していた。
高いところから突き落とされそうになることもあったし、もしかしたら殺されるのかもしれないという恐怖と、だけどこのまま自分の心がダメになって飛び降りて死んでしまうかもしれないという衝動を感じていたのだ。
しかしそこを何とか繋いで、今、30代も後半になって生きている。
なぜ命をつなぐことができたのか。
今、いじめ自殺したあの子とわたしの何が違ったのか。
わたしもそんなことは考えたし、もう面倒くさくなってすべてを終わらせてもおかしくはなかったのだ。
よくよく振り返って考える。考えてみる。
わたしは、未来を信じていたということだ。
「今、この瞬間が永遠に続くわけではない」「ずっとここにいるわけではない」ということ。
また「わたしはここで終わるような人間じゃない」という自信があったのだと思う。自分を信じる気持ち。ここで終わるわけにはいかない。生きて、より良い暮らしを手に入れるんだ、という意志。
実は、この時のこの思いは、この後の人生でもわたしの命を救うことになる。
離婚をした時だ。よく思い返してみると、まったく同じ言葉を自分に言い聞かせていたことに気づく。
傷を負って生きることは、つらい。臆病にもなる。けど、危機を乗り越えて生き延びた経験は、次の危機の時に大きな力になるかもしれない。
なんてことを、考えていた。。。
今、苦しんでる人が、だましだましでいいから、何とか生きて、この危機を乗り越えてくれますようにと願う。