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青空

何となく、本が読めず、映画も観られない日々が続いている。

それで、ここのブログで書こうとしていた趣旨(読書や映画や音楽の感想)とずれる、自分の内面のことばかり書き綴っていまう。けれど、いまはそんな時期なのかもしれないと諦めて記録しておきます。

食べることをほぼ放棄して数週間が経ってしまった。飴をなめたり、飲み物を飲んだりして過ごしている。

なぜか、「食事する」ということができなくなってしまった。空腹感を感じることもあるのだけど、実際に食べようという気持ちになれず過ごしている。

あれほど、食べることにこだわって、真夜中に起き出してまで過食していたような日々があったかと思うとまるで興味を示さなくなる。これはどういった現象なのか。

それは、わたしの心の空っぽを、身体が示しているのではないか、と思い至った。

わたしの空洞を埋めることはわたしにしかできない。誰かに何かをしてもらうことで埋まるものではない。それは分かっている。それなのに、そこが埋まっていかない。

しかし、どうして良いものなのか、実際のところ、よくわからないのだ。

好きなことをする。楽しいことをする。やりたいことに挑戦する。理屈はわかる。しかし、それには意欲がいる。行動するにはエネルギーが必要になる。

それが、すっぽりと欠落してしまっている。

無気力に、自堕落に、無表情に日々が過ぎていってしまう。

紙の日記に書く言葉も空虚そのもので、生きているという実感、生が輝くような言葉が一切出てこない。

世の中で起きていること、関心を示すニュースや、事柄が、わたしには無い。

かつては、起こること一つ一つに過剰に反応し、涙を流したり、思いを寄せて苦しんだり、平和を願って、何とかそれを叶えられる世界になってほしい、いや、そうしたい、と能動的ともいえる行動もあったように思う。

そこには確かに活動性があった。

最近ふと、

この意識を消してしまえば、全てが終わってしまえば、一瞬で空洞ごと消えるのではないかと思うことがある。それとも、この入れ物である身体の表面だけが消え、空洞はこの空気に漂い、ずっと存在し続けるのだろうか?

永遠に。

今日のような、青空を眺めていると、大気に混じって遠くに飛んでいく自分を想像することができる。

だって、あまりにも澄んだ青空だから。