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雨の日

*雑記*

朝、目覚めたら、久しぶりにすごい雨。

窓から入ってくる風は冷えていた。沢山眠ったはずなのに、満足感が得られない。魂だけの甘い世界から不自由な肉体の中に閉じ込められる現実世界へと引きずり降ろされた感覚。

誰もが、「わたし」という存在を忘れ去って今日という1日をスタートさせている。そのことに、ひどく落胆する。わたしは、誰かに思い出して欲しいというのだろうか?

そんなにも、人に愛されるような人間ではないことは分かっている。なのに、「元気?」とか「会おうよ」とか、そんなふうに声をかけてほしいという欲求があるということに気づいて、さらに落ち込む。

わたしは、人に「思い出されたい」んだ。

社会の中で生活していないということは、こういうことなんだな。誰からも忘れ去られ、「居る」ということを認識されない人間。

わたしは、そういう人たちに寄り添おうとしていたではないか。それは、ソーシャルワークを学んだ理由の1つでもある。

社会から取り残され、排除された人間、そういう人たちがまた、本来持っている力を取り戻して生き直す、そんなことのお手伝いができたらなぁと、漠然とだが、考えていた。

取り残された人々が、再度、居場所を見つけて、わたしはここに居てよいのだと、実感できるように、と願っていたはずだ。

それなのに、自分がすっかり底なし沼にはまってまい、泥の中でもがくたびに体力を奪われ、消耗し、助けを叫ぶ声を出すことすら躊躇するようになった。どんどん埋もれていく。泥は冷たくて、それでいて甘美。このまま沈み込んで、一切の言葉を発することが出来なくなることを、受け入れ始めている。

自分の力だけでは這い上がることはもう無理だから、叫んだりもがいたりして消耗するよりも、ズブズブと埋まっていくに身を任せて、静かに消えていくことを想像しては、恐怖と解放の間を行ったり来たりしている。

もう、引き戻せない。すくい上げてくれる人がいない。自分の力は尽きた。みんなそれぞれの生活があって忙しいのだ。わたしが、埋もれていくことなどに構っていられないくらい忙しい。その、忙しい泥の外の生活を捨てたのは、誰でもないこのわたしだ。

自業自得という言葉がある。わたしはこれを他者に向けて使うことはない。

どこかに、そうならざるを得なかった背景を浮かべて考えてしまうから。

しかし、今、わたしは、この言葉を自分に向けてはっきりと言えるだろう。冷酷に、突き放すことが出来る。

自分は、自分を見捨てたのだった。