自殺について考えるとき

人って、誰かが死にたい欲求を書くとイライラするんだということはわかりました。

なのに、生きてるくせに、って。

誰だって、死に思いを馳せたことはあるでしょう?

でも具体的にすると嫌な気持ちにさせられる。

生まれたからには必ず死にます。生き物であれば。でも、病死はお気の毒に、と思われて、自殺は負け犬、人殺し、と思われるのは何か違う気がするのです。

死因によってその人の人生がすべて否定されるべきではないとも思っています。

昔はよく、自殺しようとしている人を止めていたけれど、今は止めていません。

私が何を言ってもやる人はやる。やらない人はやらない。

その人の人生です。

 

私が初めて死のうとしたのは小学校3年生でした。

壮絶ないじめ。暴力によってできた身体中の青アザを親に見つからないように隠すことで必死でした。刃物で刺されたり、背後から走ってきて、跳び蹴りされたり、殴られたり、高いところから突き落とされたり、海に流れ着いた注射器を刺されそうになったこともあった。テストで0点を取るように指示され、答えを書けなかった。

錐(切り)を投げつけられ、先生まで教室から逃げてしまい、私たちは震えて座っているしかなかった頃。お金も取られていた。

保健室に逃げ込んでも見つかり、捕まったらまた蹴り続けられる。常に体は痛く、ビクビク怯えていました。

 

ここから落ちたら・・・と自分の部屋のベランダに出てみるが、下は芝生だった。

それが初めて、自殺を考えた時期でした。

でも、親がかわいそう。

でも、この小学校を卒業すれば、抜け出せるかも。

そう考えて必死で我慢を続けました。

 

今でも、背後から人が走ってくるとドキッとします。

ふざけてでも、背後に立たれてぽんと叩かれるのが怖い。

成長期に、脳に大きな負担がかかってしまったのかもしれないと、今になって思います。

こういう経験をしても平気な人は平気かもしれない。

甘ったれたこと言いやがってと思う人はたくさんいると思います。

親からの虐待よりマシだろう、とか。

でも、人はそれぞれ違う脳を持って生まれてきており、ストレス耐性も違います。

しかも、双極性障害の素地を持った家系に生まれた私は特にストレスには弱かったのかもしれません。

その後の人生も壮絶で、血を見る経験も何度もしている。人を殺さなくてよかったと本当に思います。

長くて今すべては書けませんが、ここまでよく生きて来られたな、と思います。それは母にも言われました。

今は踏ん張れるのだと思う。

川端康成みたいに70代で自殺なんてしたくないなとは思う・・・。(笑うとこじゃないけど、もうちょっとじゃん!!!って思ってしまう)

 

やるべきことがある➡︎何とか生きていける。

今はその言葉が頭に浮かんでいる。