ヘルプを出せる人とわたし

何故か、死のうとする人から連絡が来る。

ネットで急に「ドアノブの強度って分かりますか?」とか言われる。ちょっと待て。電話しよう!と言って何時間も話を聞く、話す。

説得してるわけではない。くだらない話もする。恋の話も聞き出す。で、朝方、とりあえず今日は寝ようかって言って眠る。

ネットでは沢山の人と、生き死にの話をした。実際実行してしまった人もいる。でも集中治療室で目が覚めて、その時の記憶が残っていないとか、のちに聞く。

死んだと思ってた人が生きていた。

だからまだ私と話して本当に死んだ人はいない。連絡が取れる=生きてる。

 

自分が何度も反芻して考え続けていて、苦しみから解放されたい…と思っていても、人がやろうとしていると、「なんで?」と聞いてしまう。

だんだん、その人たちが、やっぱり生きてみようと思うことによって、私は何かを得ているのではないか?と考えるようになった。

励ましたりするわけじゃなく、ただただ話を聞いて、わかるーつらいよねー、人生って特に意味があるわけじゃないものね、なんて共感してて、止めるとか説教するとかもない。だけど、その人たちは今も生きてる。

そのことによって、よくわからないけど生命エネルギーを膨らませていく自分がいるような気がしてくる。

私だって毎日苦しい。それをごまかしながら、紛らわせながら、わざとふざけて生きている。だけど、人から死をチラつかせられたら、咄嗟に「ちょっと待って。話さない?」と言ってしまう。生=善で、死=悪ではないし、生きてるということは、いつか死ぬということだ。それが早いか遅いか、自分で選択するのか自然に委ねるのか、ただそれだけの違いが、遺された人にとっては大きな問題となる。

本人(死者)の生きる苦しみよりも、遺された人(生きてる人)の苦しみが優先して考えられる。

死者はもう苦しまないから。

 私は、そんな危機(衝動)が訪れた時に、誰かにヘルプを出すことが出来るだろうか?

友達に電話できるだろうか?

知らない人のDMに、書けるのだろうか?

思いつかない。

それは、私の個人的な問題過ぎて、一から説明するエネルギーがないからだと思った。

まだ、話せるうちは大丈夫なのだ。 

このことを書いている時はいつもすでに寝る薬を飲んだ後なので、わけのわからないことを書いていたらごめんなさい。下書きに追加して投稿してみます。